シム・シャオチェン
前アジアネットワーク客員研究員(マレーシア・南洋商報コラムニスト)
日本は戦後高度成長を実現し、神話を生んだ。しかし、バブル経済の崩壊後は12年も経済が停滞、日本人は自信を失い、社会の価値観も大きく変化した。
先行きが見えないなか、日本人はいったい何を考えているのだろうか。その考え方は国の将来にどのような影響をもたらすのだろうか。
『南洋商報』は日本社会のさまざまな現象から価値観の変化を見つめ、日本人が考える未来像を探った。
(一)
人材派遣の旗手は官僚制度に挑み
雇用機会の創造をめざす
日本経済が試練に直面するなか、労働市場も大きな転換点を迎えている。「終身雇用」や「企業年金」などの制度が崩れ、企業と個人は多様な雇用形態を認めるようになった。そうしたなか、人材派遣業が誕生し、人々に数多くの就職機会をもたらしている。
旗手の一人、南部靖之氏(51)は、日本最大の派遣会社「パソナ」のCEOとして、広く才能を見出し、「社会問題の解決」に寄与することを企業理念としている。官僚体質の社会に挑戦し続ける彼は、「戦えば戦うほど勇気が湧く」と言い、平成の「楽市楽座」と「人材開国」をめざしている。
戦国時代、革新的な大名は商業の振興をはかって、城下町などの重要都市で「市」と「座」の特権制度を廃止し、商人が自由に販売できる「楽市楽座」を作った。現代版の「楽市楽座」は世界各国から文化、経済人を招き、国家と企業の活力を高めるのがねらいだ。
さらに、南部氏が唱える「平成人材開国」は、外国人も夢見る国づくりが目標。専門的な能力をもった移民を積極的に受け入れ、新たな学問と知識を増やして日本に活力を与え、経済の低迷から脱出することをめざしている。
南部氏は大学1年から起業家の道を歩みはじめた。そのころ、20人ほどの小学生を相手に塾を開いていた。塾の評判は年々高まり、大学3年のときには塾生700人、講師50名。塾の「経営者」となった。
「パソナ」の前身は「臨時労働者センター」(Temporary Center)と呼ばれ、南部氏が大学卒業後に作った。
ある日、塾生の母親の話がきっかけで、開設を思い立った。その母親は、子供が大きくなり子育ての時期が終わっても、結婚前に蓄積したキャリアや技能を生かす機会がないことを残念がっていた。そこで南部氏はそのニーズを受け止める会社を設立すれば、既存の終身雇用制にない柔軟性で雇用・就職の需要に応じられると考えた。
95年の阪神大震災で、神戸は廃墟となった。神戸出身の南部氏は、このニュースを聴いてすぐ、イタリア・ミラノから帰国したが、神戸の企業はほぼ壊滅しており、復興には広範な分野で臨時労働者が必要だった。
現実には人材派遣業に対する規制は厳しく、が足りないため、人を集めようにもかなわない。彼は東京・霞ヶ関の労働省に行き、職業紹介や人材派遣に対する規制の緩和を要請したが、当時の官僚に一笑に付された。
規制が緩和をされ、派遣業者の活動の幅は広がったのはやっと99年12月。それまでに多くの雇用機会が失われた。
南部氏は雇用問題が日本国民に最も不安を与えている問題と考えている。失業率が5%を超えるいま、規制緩和により雇用機会を大幅に増やし、「雇用ミスマッチ」を減らし、「楽市楽座」と「人材開国」を実行すべきだと南部氏は主張している。
文部科学省によると、2002年3月に卒業した25万人の高卒生の内定就職率はわずか67.8%と、同省が調査開始以来、最悪の数字となった。内定がもらえなかった学生の多くはフリーターや派遣社員になっている。
近年盛んになった人材派遣業は、企業と個人をうまく引き合わせる「仲人」となっている。派遣制度のメリットは、企業と個人が双方よりよい選択ができる点にある。企業も仕事にふさわしい人材を確保しやすく、人的コストも減らせる。働く側も、力があれば、伝統的な雇用枠組みに束縛されずに、転身をはかれる。
価値観が大きく変わる時代、人材派遣業繁盛がもたらす影響は功ばかりではないが、主婦と中高年世代に再就職の機会を与え、若者にもさまざまな仕事に挑戦する機会を与えようとしているのは確かだ。
● 明日の日本を背負う現代若者像を南部氏に聞いた。
「この一年半、各地へ講演に行き、北海道から九州まで1万3千人の大学生に会ってきた。率直な印象は「活力がない」「個性がない」「無関心」。
体力も、活力もない。塾に通いすぎたせいか、ゲームや携帯電話のメールに夢中になったせいか、良く分からない。体力はリーダーになる条件の一つであり、体力がなければ当然、様々なチャレンジもできなくなる。個性がない理由は、おそらく親も無気力だから。それが「遺伝」して次世代の無個性につながっているのだろう。同時に、社会や国に対し無関心であり、学生運動にも参加しないし、受験ばかりに目を向けている。
周りに無関心である理由は自分に自信がないからだと思う。テレビの討論番組で学者と一緒にいじめ問題について議論したことがあるが、彼らは、言葉で叱ったり、ルールで罰したりすることを主張していたが、私は同調できなかった。事件が発生した後にルールを議論するのではなく、事件が起きたらすぐ行動して事件の発生を阻止すべきだと考えるからだ。
私も子供の頃にいじめにあったことがある。家に帰ったら父親に話したら、父親から「どうすればいい」と逆に聞かれた。答えられずにいると、父親は「その人と戦いなさい」。
びっくりした。父親は、「もし我慢すると、明日、明後日、彼はまたいじめに来る。むしろ自分が強いことをアピールすればよい。1人で戦えなかったら、5人の友達に応援してもらう。5人でもだめだったら、10人で最後まで戦え」。
日本は弱者をいじめる社会であり、人々は我慢強い。その結果、いじめは増える一方で解決できない。人材派遣会社を設立し、雇用制度を革新させようとする中で、父親の言葉を思い出すと勇気が倍増する。官僚制度に挑戦し、最後まで戦うぞと力がわいてくる。
*Posted to Asahi website on 2003/09/18.
(http://www.asahi.com/international/aan/kisha/kisha_015.html)
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