2007年12月17日星期一

人間関係とロボット

シム・ショウチェン
客員研究員(南洋商報=マレーシア)

手塚治虫の「鉄腕アトム」は2003年4月7日、東京で産声を上げたことになっている。この日にちなんで横浜で開催された「ロボデックス2003」は、ペットロボット、お手伝いロボット、留守番ロボット、ホームユースロボットなど身近なモデルが並び、日本人のロボット好きを象徴する催しだった。 

「科学技術の枠」であるロボットは、欧米では奴隷的存在と見られているが、日本では人間のパートナーとして言葉を理解し、行動する能力が求められている。人間の感情も理解できるロボットも開発されているという。
 
とは言っても、日本型ロボットは、日本人特有の「本音と建前」も理解できるのだろうか。相手を傷つけることなく、人間関係をスムーズにできるのだろうか。こんな疑問が頭に浮かんだのは、外国人である私には、この日本人の言語表現が実にやっかいだからだ。
 
日本人は人間関係を円滑に運ぶことを基本に考えて、行動している。電話すると、初対面の人から「いつもお世話になっております」と言われるし、疲れてもいないのに、「お疲れ様でした」とあいさつされる。レストランで食事して、お金を払っていると「ご馳走様でした」と、実に礼儀正しい。 

しかし、そんな言葉の大半がお世辞が上手で、愛想がよいというだけの話にすぎないことが分かってきた。日本人は本音をなかなか言わないので、外国人には理解しにくい。
 
「日本に来たら狭い家ですが、遊びに来てください」と言われたことがある。「この日はいかがですか」と手紙を書いたら、「家が狭いので、旅行にしましょう」という返事だった。外交辞令を約束と思って、額面通りに受け取ってはいけないことを知った。日本人とコミュニケーションする場合、腹の中を探ったり、本心はどうなのかを推察したりする能力が不可欠だ。外国人泣かせだ。
 
日本型ロボットを開発している技術者にお願いしたいのは、本音と建前を瞬時に判断して、最適の返事を用意し、英語でも中国語でも通訳できるロボットの開発だ。そんなパートナーがいてくれれば、理想的なのだが。

*Posted to Asahi Asia Network website on 2003/05/02(http://www.asahi.com/international/aan/column/030502.html)

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