(一)来函
親愛なる沈様
ご家族一同様、
しばらく再会の機会に恵まれませんがお元気で益々幅広いご活躍をされていることと存じます。
4年前ご来日の折々の取材で新聞に発表された論文コピーを大切に保存し、時々読み直し、貴女の観察力·分析力の優秀さに感心しています。
色々の会?で貴女の論文でのご指摘を論?の問題提起に活かしております。
また、再会しましょう。
西村和義·玲子
2007年12月8日
(二)回函
西村さん、
クリスマスカードありがとうございます。毎年相変わらず西村さんのカードが一番早く手に入れるなんてありがたいです。季節の変化のお知らせですね。いよいよ新たな一年を迎え、新たな目標で人生の旅路を歩き続きます。
昨日、同僚と一緒に堀江正彦大使と昼食して話し合いました。堀江大使は今年10月にマレーシアに受任し始めました。先月、岩手県の美食会を招待していただいて食べる同時に取材しました。ビデオが出来上がってインターネットで放送されました。そして大使館にDVDを送りました。大使は大変喜んで昼食の招待でちゃんと交流しました。
さて、仕事のほうは変化があります。今は南洋商報の社員ではありません。23年間ずっと南洋商報に勤めていたが会社の業績はあまりよくなかったからMultimediaなんか余計な部署となってしめました。
今の会社はRH Multimedia Broadcasting Corporationです。南洋商報と同じグループでMultimediaの業務を中心しています。私のチームは全員この会社に移します。だが、勤務先は前と同じように、南洋商報のTenantとなってしまいました。
日本語を勉強して以来仕事で役に立ったらいいと思いました。この前、自由に興味を持っている事を取材するのは無理でした。今は取材チーム(記者と撮影記者)があり、もっとたくさんのチャンスを作って日本語を活用します。そこで日本の大使まで注目を集めています。
ビデオのほかに、月に二回南洋商報のコラムを書くことになりました。コラムでよく日本についてのことを書きます。なぜ日本のことばかりだか、周りの人にきかれました。私の特徴だと簡単に答えました。特徴よりも力かもしれませんね。
力と言えば、チームが二人に残った時マネジャーの私も自分でビデオを撮ったり編集(editing)したりしました。‘若いころの苦労は身になる’という諺があるでしょう。だから今の私はもうひとつの力が身に加えてきました。
仕事の変化で色々考えさせました。人生はさまざまの挑戦に直面しなければ成長しません。どんなこともプラス面とマイナス面があり、好きな事を一生懸命やればきっと春がきます。(今は冬だけど、春は遠くないでしょう)
西村さんのお便りは励ましい言葉に満ちて感動させます。これからも頑張らなくちゃ気がします。
季節の変化でお体に十分お気をつけてください。奥さんによろしくお伝えください。いつか又日本とかマレーシアで会えるのを楽しみにしています。
Merry Christmas and Happy New Year!
新年おめでとうございます。
沈より
2007年12月13日
(三)后记:
西村和义是我第一次踏足日本时,接待我到他家的东道主。那是1991年吧,我赢得了全国日语演讲比赛冠军,有机会到日本研修见学一周,当东协各国的演讲代表聚集在东京,再一次呈献我们的讲题内容时,我看到我的东道主,在我和新加坡代表之间,他表示新加坡是他的梦想国(Dream Country),而大马,也有他的足迹,尤其是东马。
自此之后,尽管我们不是经常有机会见面,不过他来到大马三菱总公司,一定会找我吃饭。鱼雁往来,句句关怀、声声鼓励,这么多年来,第一张圣诞节兼新年贺卡,一定出自他的手。
2003年,在《朝日新闻》待了3个月,对日本社会和人际关系大有体会,在他面前,我从不掩饰自己的想法和批评,他总是温和地听、温和地对身旁的妻子玲子说:“这个人很有想法。”
我知道在日本人当中,这种激进的态度是很不受欢迎的,而他却包容了我,而且对我采访过和写过的文字,都有颇高的评价。
我知道他是善意的,善意地对待我这个无法完全融入日本社会礼仪的“外国人”,因为他的足迹遍布中国、韩国及其他国家,是典型的“国际人”,每次阅读他的文章,都是赞美多过批评,对别的国家、别的国家的人,他都是善意地发掘别人的好、别人的美。
这种善意,实际上就是一种美德。
在日本研修课程中穿插的寄宿计划,受接待者通常会称呼东道主为父(お父さん),我却不轻易这么称呼所有接待过我的东道主。
可是,在我接触日本文化的这些年,西村和义和饭田诚示确实是我的お父さん。
一日为师,一生为父。
お父さん、ありがとう。
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